寛永寺・谷中2013n


■上野寛永寺

今年は桜の開花が早まったということで、3月23日、急遽上野に出掛けました。
東照宮辺りを避け、寛永寺を目指しました。途中、いつもは閉じている国立博物館の黒門が開いていました。

上野寛永寺は、根本中堂のある本寺、開山堂、清水観音堂、不忍池弁天堂、時鐘堂など上野の山全域に散らばっており、全体では3万坪に及ぶそうです。それでも江戸時代の1/10とか。

徳川将軍家の菩提寺だけあって、塀の瓦にも葵の紋が。

根本中堂。

銅鐘。1682年神田鍋町の鋳物師椎名伊予守吉寛作。
毎年、除夜の鐘が撞かれますが、芭蕉の句で有名なのは、時鐘堂のほうです。

境内に6体のお地蔵様が並んでいます。由緒は分かりません。6体とも暖かそうな頭巾と襟巻きをしていました。

青銅の灯篭。龍や天女などの彫物があります。ここにも葵の紋がついています。

根本中堂の前の桜が満開でした。お堂のまわりには、ぐるりと何本も桜が植えられています。

残念ながら、曇り空で、花の色も空の色も冴えません。

太い幹に苔が生えたかなりの老木ですが、きれいな花をつけていました。

寛永寺幼稚園側の門の外から見た根本中堂と桜。


■天王寺

桜並木の谷中墓地参道を進むと、天王寺山門に突き当たります。
室町時代に創建された都内有数の古刹です。幸田露伴の「五重塔」で知られる境内の五重塔は、昭和32年、放火心中で消失しました。

山門をくぐると、すぐ右手、毘沙門堂の前に枝垂桜の木があります。

本堂横にももう1本。

きれいな桃色の花をつけていました。

桜の傍には昔ながらの手押しポンプの井戸が見えます。古風で優美な本堂や穏やかな顔の大仏、谷中七福神の毘沙門堂もあって、落ち着いた風情のある寺です。

違う種類と思われる桜も咲いていました。真っ白で、どちらかというと緑がかっています。

外国人も多く見受けられ、本堂前では猫を抱いて、くつろいでいるカップルもいました。

水道の栓がウグイスみたいです。

これは何でしょう?

答は、「天王寺大仏」の傍にある石灯籠の穴から覘いた新山門辺りの様子です。
「天王寺大仏」は「元禄大仏」「谷中大仏」とも呼ばれ、庶民に親しまれていたようです。正式には銅造釈迦如来坐像で、1690年製です。


■谷中墓地

谷中墓地には、都立谷中霊園のほかに天王寺墓地と寛永寺墓地が含まれます。

花見で賑わいますが、墓石や梵字の卒塔婆も建っている神聖な場所柄、騒ぎもほどほどにしたいところです。

参道は桜の花に覆われ、見事でした。人出もかなりありますが、上野の山ほどではありません。

満開です。

太い幹に直接花がついていました。


■谷根千

谷中は寺の町です。ふらりと入った横道で、忠臣蔵にゆかりの観音寺に行き当たりました。四十七士が上野介を討ち取るための談合をしたという寺で、境内右手に供養塔があります。

観音寺を出て、右に曲がると、見事な築地塀がありました。どうやら観音寺の一角のようです。谷中の代表的景観で、台東区まちかど賞をおくられています。

裏道を辿って、千駄木から根津に向かいました。昔ながらの古い町並みが続きます。外国人親子も珍しそうに写真を撮っていました。

家々では庭の狭さをカバーするためか、道路沿いに緑が多く見られました。

へび道の出口辺りです。へび道は不忍池に流れ込む藍染川を暗渠とし造った道路で、狭くてくねくね曲がっています。