2006/07/02 代表監督騒動の顛末

情報通さんの某掲示板への書き込み、スポンサースポニチの記事、サッカー協会会長の失言と続いたオシムの代表監督就任問題は、技術委員長のオシム自宅での折衝、来日後のジェフ-オシムの話合い、そして昨日の三者会談によって事態が明確になってきました。

まずは、オシム監督が日本代表監督就任にこれほど意欲的なことは、意外でした。
ジェフの監督を辞める時は日本から離れる時と思い込んでいたこともありますし、ストレスの溜まる代表監督やビッグクラブを率いることは好まないと思っていました。年齢や体調のこともあるので、あと4年間も日本にいてくれるとは想像だにできませんでした。ジェフの監督を心から楽しんでいるので、気の向くまでジェフの監督を続けてくれるものと期待していました。
でも違っていたようです。何がオシムを日本代表監督に駆り立てたのか本心を知りたいところです。

失言問題以降事態が表沙汰になりましたが、折衝の経緯はよく分かりません。真相はどうだったのでしょうか。
多分、その前からクラブやオシムに対し何らかの申出が協会からあったのは間違いありません。情報通さんの書き込みを見れば分かります。ただ、クラブとオシムの間で就任の条件がよく話し合われていなかったのではないでしょうか。クラブとしては、ユーゴでの実績から兼任(いつまでは別として)が可能であり、そうならば協力しようと思っていたと想像されます。ところが、話が表立って技術委員長がオシムの自宅で話し合った時点で、オシムは兼任は無理と拒否しました。協会はそれなら代表監督一本で、と話を進行させようとしたようです。この辺りは、会長失言時点では、クラブの社長が「心ならずも協力せざるをえない」旨の発言をしていたのに、オシム来日後は協会批判を強めた点から窺われます。また、社長の「困っているから傘に入れてあげようと言ったら、傘を盗られた」との発言が裏付けています。

オシムの気持ちが「代表専任」であることは変えようがなく、クラブとしても従わざるを得なかったのでしょう。契約の履行を強硬に主張すると、オシムが全てを捨てて日本から出て行くことも恐れたように思われます。ただ、サポーターや、もしかしてスポンサーがうるさいので、三者会談を開き、詫び状を取り、関係者に説明をするという手順を執ることになったのだと想像されます。

以上、推測の部分が大半ですが、サポーターとしては寂しい結末です。しかし、日本のサッカー界全体からは極めて望ましいことなので、クラブやオシムの決定を支持したいと思います。ジェフの監督には立派な後継者がいますし、選手もこの結果を受け入れて頑張ってくれるでしょう。ジェフにとって、チーム強化の恩人であるオシムへの依存から抜け出すよい切っ掛けになったと、前向きにとらえるべきでしょう。