2006/07/08 顛末の顛末

今日、オシム代表監督問題の経過報告会がありました。何故、クラブの対応姿勢がオシム来日後に急変したのか、前にも触れたように疑問に思っていたのですが、以下のように説明がなされました。

「6月24日の帰国記者会見で、キャプテンが失言をしたわけです。翌日の6月25日の月曜日に会社で幹部と協議し、平山常務とともに協会とキャプテンに抗議に出向き、同時にオシム氏の就任時期は、契約終了後であるあることを明言しておりました。
しかし、再渡欧した田嶋氏は再びオーストリアのオシム氏の自宅を訪ね、その際に契約概要を伝えており、契約時期を2006年7月からとしたことがあとで判ったわけです。これは失言以上の信義に反することとしてクラブとしては、この点をもっとも問題視しております。」

つまり、クラブとしては兼務云々ではなく、シーズン終了後就任を条件としていたのに、協会が7月就任をごり押ししたため、態度を硬化させたということのようです。シーズン終了後なら契約は終了しているので、そもそも、クラブ側が口出しできることでなく、単純に、クラブとの契約は途中解除を認めないという立場に過ぎなかったということになります。

いずれにせよ、オシムが、就任時期がいつであるにせよ、ジェフよりも日本代表監督を選んだのがどういう背景、事情によるものか、依然謎のままです。いまだに信じられません。