2006/12/13 オシムの言葉は免罪符?

阿部がチームを代えるとすると、その根拠の1つは、オシムが常々挑戦せよと言っていたからだと、伝えられます。阿部は、さらなる成長を目指す、ジェフにいては甘えが出る、など(直接聞いていないので、正確な表現ではありません)とも言っているようです。

何を考え、何を言おうと勝手ですが、オシムの言葉を都合よく引き合いに出すのは止めて欲しいものです。オシムは確かにそう言ったかもしれません。また野心を持てなどとも言っていたように記憶しています。ただ、これらの言葉をオシムが使うのは、人生観とも繋がった深い意味合いでのように思えてなりません。サッカーを極めることは、達成できないことかも知れないが、それに向かって最大限あらゆる努力をすることが人の生き方にも繋がる、位の意味を含んでいると、私は受け止めています。

オシムの言葉を都合よく、単に、海外に行けとか、他の強豪チームに行けとか、そんな皮相な受け止め方をしてよいのでしょうか。阿部が何かを言うとしたら、移籍金を貧乏なジェフに残したいとか、控えでもよいから優勝を味わってみたいとか、ジェフ首脳に不満があるとか、サポーターが気に食わないだとか、カネが欲しいとか、自分の言葉で語って欲しいと思います。

サポーターの願望としては、そもそもオファーが来たと聞いた時、そんなものは歯牙にもかけないといった姿勢を見せて欲しかったのですが、条件次第では他のチームを選ぶと言われては、たとえ残ったとしても今後は今までと同じ気持ちで応援することはできないでしょう。いつまた、他所のほうがよさそうだと言い出しかねないのですから。そして、そう考えることはプロとして当然の権利なのですから。サポーターとはかなわぬ夢を抱き続ける生き物なのです。